― “みんなハッピーになる会社”という言葉の再定義 ―
経営者が抜け落ちた「みんな」
「みんなハッピーになる会社にしたい」——
この言葉を、私はずっと心に留めている。
けれど、いつの間にかその“みんな”の中から、
経営者自身が抜け落ちている気がしてならない。
経営者が疲弊し、焦り、誰かを責めるようになった時、
会社の幸福の循環は止まってしまう。
“みんなハッピー”という理念は、他者のための命令文ではなく、
まず自分も幸せであることを許す宣言のはずだ。
店長が気づく「幸福の流れ」
店長という立場は、経営と現場の中間にいる。
だからこそ、経営者の幸福度は現場にどう伝わるのかを、
肌で感じ取ることができる。
経営者が自分の幸せを後回しにしたまま、
スタッフに「笑顔でいよう」と言っても、
それはどこか空虚に響く。
現場はその空気を敏感に感じ取り、
「ここで幸せになってはいけない」と学習してしまう。
幸せは上から押し付けるものではない
幸せは、上から押し付けるものではない。
上から流れていくものだ。
経営者がハッピーであれば、その余白が店長を潤し、
店長が安定していれば、スタッフの笑顔につながる。
会社の温度は、上から順に伝わる。
経営者の心が冷えれば、店長の心も冷える。
経営者の心が温まれば、現場は動き出す。
店長はその「温度を伝える中継点」であり、
現場の幸福を守る温度調整役でもある。
「みんなハッピー」は循環のデザイン
「みんなハッピーになる会社」——
それは理想ではなく、循環のデザインである。
経営者が自らの幸せを源として周囲へ流し、
店長がその温度を受け取り、スタッフへ渡す。
その連鎖が続く限り、組織は生きていける。
“みんなハッピー”とは、
誰かを犠牲にして築くものではなく、
誰も犠牲にならないよう設計された関係性のことだ。
経営者の幸福が現場に伝わるとき、
店長のマネジメントは、はじめて「循環」を生み出す。
